最高裁判所第二小法廷 平成2年(オ)771号 判決 1990年10月19日
上告人
田島次雄
右訴訟代理人弁護士
宮里邦雄
東澤靖
被上告人
日本国有鉄道清算事業団
右代表者理事長
石月昭二
右代理人
田口肇
右当事者間の東京高等裁判所昭和六二年(ネ)第一九一五号、同六三年(ネ)第四五一号免職処分無効確認請求控訴、同附帯控訴事件について、同裁判所が平成二年二月二八日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人宮里邦雄、同東澤靖の上告理由について
上告人に対する本件懲戒免職処分を有効とした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一 裁判官 中島敏次郎 裁判官 木崎良平)
第一 懲戒免職処分の効力に関する法令の適用
本件懲戒免職処分は、旧日本国有鉄道法(以下、国鉄法という。)三一条一項によりなされたものである。そして、懲戒権者である国鉄総裁が、同条同項を適用して所定の免職、停職、減給及び戒告の懲戒処分のうち、どの処分を選択するかを決定するかに当たって、国鉄中国支社事件最高裁判所第一小法廷昭和四九年二月二八日判決(民集二八巻一号六六頁)は、以下のような法令適用の基準を定めている。
一 諸事情の総合考慮
「懲戒事由に該当すると認められる所為の外部に表われた態様のほか右所為の原因、動機、状況、結果等を考慮すべきことはもちろん、更に、当該職員のその前後における態度、懲戒処分等の処分歴、社会的環境、選択する処分が他の職員及び社会に与える影響等諸般の事情をも斟酌することができるというべきであり、これらの諸事情を綜合考慮した上で、上告人の維持確保という見地から考えて相当と判断した処分を選択すべきである。」
二 均衡・合理性の必要性
「もとより、その裁量は、恣意にわたることをえず、当該行為との対比において甚だしく均衡を失する等社会通念に照らして合理性を欠くものであってはならない」
三 免職処分に必要な特に慎重な配慮
「もっとも、懲戒処分のうち免職処分は、上告人の職員たる地位を失わしめるという他の処分とは異なった重大な結果を招来するものであるから、免職処分の選択に当たっては、他の処分に比較して特に慎重な配慮を要することは明らかである」
そして、以下詳細に述べるように、高裁判決は、地裁判決において社会通念上合理性を欠き無効とされた本件懲戒処分を、一転「相当なもの」と判断する理由の中で、<1>国鉄法三一条一項の適用に必要な諸事情の考慮をせず、また、考慮すべきでない事情を考慮し、<2>合理性を欠く裁量の行使を適法と判断し、<3>免職処分に必要とされる特に慎重な配慮を怠ったもので、法令適用の違背、審理不尽及び理由不備の違法があり、それらは明らかに判決に影響を及ぼすものである。
第二 上告人の行為の原因及び動機
一 休暇申込方法の変更
高裁判決は、本件事件の発端となった年休申込方法の変更問題について、次のように認定している(一九、二〇丁)。
「職員の休暇の種類は、公休日、特別非番日(非休)、非番、代休、年次有給休暇(年休)があり、年休は一年間に二〇日与えられ、そのうち一二日を計画年休、八日を自由年休とし、計画年休は毎月一回所属長が計画的に付与することができるものとし、自由年休は本人の請求により与えるもので、その際業務の正常な運営をさまたげるおそれのあるときは、他の日に変更して与えることができるものであり、年休授与月は職員によって異なること、甲府駅では、昭和五七年四月に作成する五月の勤務割予定表から従来の個人別休暇申込簿による休暇申込みを認めず、日単位の休暇等申込簿によることとしたこと。」
そして、この甲府駅の扱いは、従前の休暇申込方法を一方的に変更するものであったことから、「職員は、当局が定めた『休暇等申込簿』によらず、従前の『休暇申込簿』(<証拠略>)に、明け番、公休をも含む希望日を記入していた。」(地裁判決二五、二六丁)。
二 小尾助役の勤務割及び対応の問題点
1 高裁判決の認定
こうした甲府駅の方針を受けた小尾助役の出札係での扱いについて、高裁判決は以下のように認定している(二〇、二一丁)。
「小尾助役は、出札班の勤務割予定表の作成にあたり、右方針に従い、職員に休暇を与えることにしたが、五月は祝日が多く、その代休を入れることができたので、問題はなかったが、六月の勤務割では職員の希望とが必ずしも合致せず、問題が生じた。そこで、小尾助役は、同年七月の勤務割予定表作成にあたっては、従来の個人別休暇申込簿による場合でも休暇申込みがなされたものと取り扱うこととしたこと、山内猛の年休付与月は七月であったところ、同人は申込み期限の前月(六月)二〇日までに従来の休暇申込簿により七日、一一日、一九日、二二日、二五日、二八日、二九日、(但し、七日は「アケ休」と、他は単に「休」と記載している。)の七日間を申込み、これに対し、小尾助役は、合計一一日間の休暇を与え、自由年休として七日、一一日、二五日、二九日の四日を割り当てたこと、山内猛は六月二五日勤務割予定表が発表されてから小尾助役に七日の自由年休と八日の公休日を入れ替えた上、八日の自由年休を日勤に変更して欲しい旨申し入れたが、小尾助役はブラ日勤を造ることになるからという理由でこれを拒否し、山内猛も当初の勤務予定表どおり休暇をとったこと、山内猛について七月の自由年休が四日入れられたことは数字から見ると多いけれども、一般的に六月、七月、八月は祝日がなく、したがってその代休も入らないことから、従前より自由年休を多く入れる傾向にあり、他の職員と比べて特に多いともいえないものであること、その他、小尾助役が七月分勤務予定表に定めた山内猛に関する休暇割当てには特段不当とすべき点は存在しないこと、以上の事実を認めることができる。」
2 六月の勤務割の問題点
高裁判決がいとも簡単に「問題が生じた。」と認定する、六月の勤務割の問題とは、地裁判決に明らかなように、「小尾助役は、同年一月、甲府駅に転任してきた出札担当の助役であるが、同年六月の勤務表を作成する際、出札担当の職員が当局の定めた休暇等申込簿によらずに、従前の休暇申込簿(<証拠略>)による休暇の申込みをしてきたのに対し、これを休暇の申込はなかったものとして、勤務予定表を作成したため、当初、一八日のいわゆるブラ日勤が発生して問題となった。」(二六丁)というものであった。すなわち、甲府駅が一方的に実施を通告し、他方職員が従来のやり方を継続した休暇申込み方法について、小尾助役が職員の記入した休暇申込簿を全く参照せず、職員の休暇申込がなかったものとして勤務割を作成したために、出札職場だけで一八日ものいわゆる「ブラ日勤」が発生したのである。そのため、営業総括助役、組合の分会役員、出札班役員でこの問題を協議して是正するという処理がなされたのである(控訴審第五回口頭弁論における田島本人尋問調書―以下「田島五回」という―一二丁表ないし一三丁表、控訴審における小尾証人尋問調書―以下「小尾」という―三〇丁表・三一丁表)。
それ故、この問題は勤務割という小尾助役の職務遂行の妥当性が、甲府駅全体で問題となったという事件であり、同助役の七月分の勤務割をめぐって生じた本件事件につながるものであった。
3 七月の勤務割の問題点
高裁判決は、前述のように、山内猛が七月の勤務について従来の休暇申込簿により七日間の休暇を申込み、これに対し、小尾助役が合計一一日間の休暇(そのうち四日は自由年休)を与えたことについて、「特段不当とすべき点は存在しない」と断じている。
しかしながら、高裁判決が自ら認めるように「山内猛について七月の自由年休が四日入れられたことは数字から見ると多い」という事実は、明らかである。七日の休暇申込に対して、付与順序として最後に付与されるべき自由年休が四日も付与されることは、同月の出札班職員に対する休暇付与状況に照らしても(出札班において山内職員より休暇申込日数の多いものは七名いるが、その中でさえ、自由年休を山内職員以上に付けられた者は一名のみである。)極めて異例のものであった(<証拠略>)。加えて山内職員は、高裁判決も認めるように、七月七日については「アケ休」(明け番または休みの意)として申し込んだのであるが、このような申込は原則として職員の希望が尊重され、同月の出札班職員に対する休暇付与状況に照らしても八五パーセントは職員の希望どおりに付与されており、そうでない場合も公休・日勤が付与されていた(<証拠略>)、「アケ」または「ヒ」(非番の意)の申込にもかかわらず自由年休が付けられたのは他に僅か一例にすぎず、とりわけ山内職員の場合は唯一の「アケ休」申込に対し、自由年休が付けられたのであった(<証拠略>)。ちなみに「アケ」または「ヒ」とは、徹夜勤務の明け番をさすもので厳密な意味での休暇ではなく、必ずしも休暇としての付与を受けるべき必要性のない申込である。
そもそも自由年休とは、休暇の中でも勤務発表後において労働者の指定により(時季変更権の行使を受けないかぎり)任意に休暇を取得できるという法的保障のあるものであり(国鉄郡山工場事件・最高裁第二小法廷昭四八・三・二判決、民集二七巻二号一九一頁参照)、職員としてはできるだけ残しておきたいと考えているものである(<証拠略>)。加えて後にも述べるように山内職員の場合は、その年の一〇月に結婚を控え(<証拠略>)できるだけ自由年休を残しておきたいと考えていた(<証拠略>)。
高裁判決は、このような小尾助役の勤務割を不当なものではないとする理由として、「一般的に六月、七月、八月は祝日がなく、したがってその代休も入らないことから、従前より自由年休を多く入れる傾向にあり、他の職員と比べて特に多いともいえないものである」と述べる。しかし、そのような一般論が通用するのは、山内職員が他の職員より多くの休暇を申込み、その希望に応えるために祝日、代休の少ない七月においては自由年休を付与せざるを得なかったという場合に限られる。実際には、山内職員の休暇申込日数は七日で平均的なものであり(<証拠略>)、山内職員の場合には休暇申込をしていない日にも公休三日及び計画年休一日の計四日を付与されているのであるから、右のような一般論は通用しない。
4 山内職員の申入れに対する小尾助役の対応の問題点
(1) 高裁判決は、勤務割予定表発表後六月二六日の山内職員の変更申入を小尾助役が拒否したことについて、同助役が「ブラ日勤」を造ることになるからという理由で拒否していたこと、山内職員も結果的に当初の勤務予定表どおり休暇をとったこと、を理由に「特段不当とすべき点は存在しない」と断じている(二一ないし二三丁)。
しかしながら、「ブラ日勤」とは、交番の勤務予定に組み入れられていない普通日勤のことであり、出勤の上必要に応じて勤務に従事するのであるから、特別に避けねばならないというものではなく、当時の甲府駅において頻繁に見られるものであった(<証拠略>)山寺保八月一一日、新奥光同月八日、二四日などが、年休を取り消して日勤となっている。(<証拠略>)では、山内職員も八月三〇日の年休を取り消して日勤となっている。)。加えてかかる「ブラ日勤」は、前述のように小尾助役自身、前月六月に一八日も発生させていたものであり(<証拠略>)、右理由は口実の域を出るものでなかったことは明らかである。
(2) 他方、高裁判決はこの点についての判断を遺漏しているが、山内職員の場合は、その年の一〇月に結婚を控え(<証拠略>)できるだけ自由年休を残しておきたいと考えていた(<証拠略>)。ところが山内職員の場合、同年七月の休暇申込当時、残り自由年休は二日であり、同月の切り替えで新たに八日の自由年休を取得するものの同月の勤務予定において四日の自由年休を付与されたため、残り自由年休は僅か六日となってしまったのである(<証拠略>)。そのため、地裁判決も認めるように、「山内職員は、翌二六日小尾助役と出札班の交渉の際、秋に結婚式を予定しているから、なるべく有給休暇を残しておきたいとして、(中略)申し入れた。」のである。結婚式には、その準備、式、披露宴及び新婚旅行などのために自由に取れる休暇を要し、そのために万全を期したいというのは、結婚が自身及び親族の一大事であることにかんがみれば当然のことである。それに対する、小尾助役の「ブラ日勤となることもある」、「駅長の方針」という対応は、直属の管理者としては、いかにも柔軟性を欠きかつ形式的なものであった。
(3) さらに、この点も高裁判決が判断を遺漏する点であるが、その後の再三にわたる出札班と小尾助役との交渉においても、小尾助役の交渉態度は極めて不誠実なものであった。以下、この点に関する地裁判決の認定を引用する。
「山内職員は、同年七月七日の国労甲府駅分会委員会で同人の休暇問題が取り上げられた際、出札室以外の職員(西部構内)で勤務種別の変更が行われていることを知り、同月一〇日小尾助役に説明を求めたところ、同助役は、八月からはその職場でも勤務種別変更は行わないことになっていると説明した。そこで、山内職員が『他の職場で八月以降勤務種別変更が行われた場合は自分の七月七日、八日の勤務はどうなるのか』と尋ねたところ、小尾助役は、そのような場合には七月八日の勤務は普通日勤にしてもよいと答えた。
その後、山内職員が西部構内の八月の勤務予定表を調べたところ、同職場においては、八月分の勤務予定表の作成においても勤務種別変更が行われていることを知った。そこで、同人は、七月下旬か八月初めころ、西部構内の実例をもとに、再度小尾助役に西部構内の勤務予定表のコピーを見せて班委員の深沢職員とともに説明を求めたが、小尾助役は、自分のやり方が正しく構内係の助役が間違っていると言い、他の職場でやっているなら、七月八日を普通日勤にしてもよいと言った覚えはないと答えた。」(二七、二八丁)。
(4) 高裁判決は、結果的に山内職員が勤務予定表どおり休暇を取ったことをもって、小尾助役の対応に問題がないとの判断の理由としている。
しかし、このような理屈はいかにも奇妙かつ非論理的である。すなわち、この理屈が、山内職員が自らの要求するとおりに出勤し、管理者が定めた勤務予定に反した行動をとればよかったとの意味であれば、そのことはまさに職場秩序を破壊するものであり、そのような理屈は成り立たない。また、山内職員が結果的に小尾助役が指定したとおり休暇を取ったことをもって、たいした問題ではなかったのだとする意味であれば、右に述べたように山内職員及び出札班が、その後においても取扱の変更を求めて交渉を続けていたという事実を無視するものである。いずれにしても、山内職員が指定どおりに休暇をとったのは、勤務割の変更を認めさせることができなかった結果として余儀なくされたものであり、その後も問題としては続いていたのである。それ故、高裁判決の右理由は、判断の理由足りえないものである。
三 原因及び動機に関する高裁判決の法令解釈適用の誤り
1 法令解釈適用の誤り
以上に述べた小尾助役の勤務割及びその後の対応の問題に照らしてみれば、本件事件当日に上告人が小尾助役に再三にわたる抗議及び申入れを行うにいたった原因及び動機には、小尾助役の対応の不当性があり、地裁判決が、「前記認定によれば、本件は、山内職員の休暇問題を契機としており、同問題における小尾助役の態度は前記認定の経緯をみれば妥当性を欠く点がなかったとはいえない。原告の本件行為は勤務時間中の組合活動として許容される範囲を超えているが、山内職員からこの間の経過を聞き、同職員の態度をみて、分会の組織部長として交渉しようとしたものであり、動機に酌むべき点がある。」(三五丁)と認定するように、上告人の行為の原因及び動機として考慮されるべきである。
ところが高裁判決は、休暇申込方法の変更について組合との間に対立があったことに関する判断を遺脱し(一)、小尾助役の六月分の勤務割の問題についてその内容に関する審理判断を尽くさず(二―2)、小尾助役の七月分の勤務割について重要な点について判断を遺脱し、また審理判断を尽くさないまま「特に問題はない」との結論を下し(二―3)、山内職員等の申入に対する小尾助役の対応についても重要な点についての判断を遺脱し、理由足りえない理由で「特に問題はないとの」結論を下している(二―4)。その結果、高裁判決は上告人の行為の原因及び動機に関する審理判断を尽くさないまま、本件免職処分の効力を判断するにいたったものであり、前記最高裁判例に照らして、その法令の解釈適用を誤ったことは明らかである。
2 高裁判決の「情状」に関する判断の問題点
(1) 高裁判決は、「3 被控訴人の非違行為と情状」と題する項において、「殊に、本件非違行為当日では、既に、山内は予定表どおり休暇をとってしまっていたのであるから、後において休んだ日を出勤したことにするのと同じ扱いにせよとの要求は、甚だ身勝手で不当なものであることは明らかである。」(二二丁)と述べ、また、「6 本件免職処分の当否」においても、「殊に、本件非違行為が行われたのは、山内職員が当初の勤務予定表に従って休暇をとった約一カ月後のことであって、行為当日においては、右の要求自体が既に不当であったというべきである。」(二三丁)などと同様の判断を繰り返す。
(2) しかし、「既に、山内は予定表どおり休暇をとってしまっていた」あるいは「休暇をとった約一カ月後のことであって」という理屈が、小尾助役の対応を正当化し、組合及び上告人の申入の根拠を喪失せしめるものでないことは、既に述べたように、山内職員には休暇取得を実力的に拒める立場にはないこと、及び休暇取得後も「七月下旬か八月初めころ」まで交渉が継続していたこと(地裁判決二八丁)に照らせば明らかである。
(3) また、「後において休んだ日を出勤したことにするのと同じ扱いにせよとの要求」とは、上告人の行為として述べられているとしたら、明らかに認定した事実関係に基づかず、また前後の事情の判断を遺脱したことから生ずる誤った評価に基づく認定である。
すなわち、本件事件当時の上告人と小尾助役とのやりとりは、高裁判決の認定によっても、上告人が「勤務予定表作成時の公休の勤務認証について出札班役員に言ったのと同じことを言え。」と詰問し、小尾助役がこれに答えずにいた(一三丁)というものであり、上告人が具体的に右のような要求をし、小尾助役が既に休んだものを一カ月も経ってから覆すのは無理だとの理由で拒んだなどというものではないのである。それにもかかわらず、高裁判決が一カ月後の要求であり行為当日においては要求自体が不当などと述べるのは、全く事実関係を無視した評価といわざるをえない。
しかも、地裁判決が認定するように、他職場においても勤務種別の変更が行われており、小尾助役自身一度は、山内職員が休暇が経過したあとの交渉で、他の職場で勤務種別変更が行われている場合には七月八日の勤務は普通日勤にしてもよいと答えているのであるから(二七丁)、かかる前後の事情に照らして「右要求自体甚だ身勝手で不当なもの」などとは到底評価しえないものである。
第三 上告人の行為の状況
一 乙第五号証(現認報告書)の問題点
上告人の当日の行動に関する高裁判決の認定は、主に乙第五号証(現認報告書)における小尾助役の報告に基づいてなされているが、同報告書は以下の通り信用性に疑いがあるものであることを最初に明らかにする。
すなわち同報告書は、小尾証言も認めるように、
NO.4「その時右の耳の」以下数行にわたる、つばがはきかけられたという部分(<証拠略>)。
NO.5「私は再び5122の」以下「とどなった。」までの、電話を切った、耳元でどなった等の状況を述べる部分(<証拠略>)。
NO.6「駅長事務室にいこうと」以下被控訴人が同助役の足を蹴った状況を述べる部分(<証拠略>)。
NO.5の見取図における被控訴人の位置を示す部分(<証拠略>)。
など本件懲戒免職処分の主要な理由となった被控訴人の行動に関する部分だけ、書き直されている。
同助役は書き直しの理由について、「字句の間違い」「書いたり消したりする癖」などと弁解するが、他の部分には書き直しがないことや同報告書は下書きの上作られたものであること(第一審第七回口頭弁論における小尾証人尋問調書―以下「小尾一審七回」という―六六丁表<証拠略>)などを考えるなら、右弁解は到底信用できない。むしろ同報告書が即日作成されたというにもかかわらず国鉄内での弁明弁護の際の組合の要求にもかかわらず訴訟にいたるまで提出されていないこと、その提出の経緯についての供述が変遷していること(<証拠略>)などの事情に照らせば、同報告書は免職処分を正当化する証拠作りの意図のもとにその内容を誇張もしくは修正して作成されたものと考えざるをえない。それ故、右報告書とりわけ右書き直しにかかる部分を安易に事実認定の資料とすることが問題であることはいうまでもない。
以下、高裁判決の内容について検討する。
二 第一回
事件当日の上告人の行動について、まず第一回目に出札室を訪れた経緯について、高裁判決は、「被控訴人は、同日午後三時四五分頃、小荷物担当助役の承認を受けることなく、勝手に小荷物室を出て出札室に入り、自席で事務を執っていた出札担当助役小尾公造の傍ら赴き、同日付朝日新聞の「国労に強い助っ人?ヤミ・カラ非難は不当」と題する記事コピーを見せ、感想を言えと要求した。小尾は相手にせず、一番窓口側の電話修理状況をみるため席を立った。そこで、被控訴人は出札室の休憩室に行って休憩中の職員らと雑談した後小荷物室に戻った。」(一二丁)と認定する。
右認定には上告人の行為の状況についての重要な事実についての判断がなされていない。そのため、あたかも上告人が無目的に職場を離れて出札室に赴き、小尾助役に嫌がらせをしたかのような誤った評価が加えられる結果となっている。
しかし実際は、同じ行為について地裁判決が、「原告は、同日午後三時三〇分ころ、甲府駅分会組織部長としての職場の巡回、点検を行なおうと考え小荷物室を出た。なお、原告は、以後三回小荷物室を離脱しているが、その際、いずれも小荷物室担当助役の承認を受けなかった。
そのころ、出札室窓口付近は、台風一〇号のため客で輻輳しており、それをみた原告は、列車の運航状況についての案内掲示板を出す必要があると考えた。
そこで、原告は出札室に入り事務机に向かっていた小尾助役に対し、案内掲示板を出すように勧めた。これに対し、助役は殆どとりあうこともなかった。原告は、朝日新聞の切り抜き議事(ママ)のコピーを示して、これに対する感想を求めようとしたが、小尾助役は公衆電話の修理人が来ていたので席を立ち、原告を相手にしなかった。
その後、原告は出札室の休憩室において、休憩をとっていた出札担当り(ママ)職員に対し、右新聞記事の話をしたり、山内職員から前記(3)のような経過を聴いたりし、小荷物室でも勤務種別変更は行なわれていると話した。原告は、このような休憩室でのやりとりのあと出札室を出て一旦小荷物室に戻った。」(二八、二九丁)と認定しているように、上告人は、
<1> 甲府駅分会組織部長としての職場の巡回、点検を行なおうと考え小荷物室を出、
<2> 出札室窓口付近が、台風一〇号のため輻輳していたため、列車の運航状況についての案内掲示板を出す必要があると指摘するために、出札室に立ち寄り、
<3> 山内職員の年休問題に関する相談を受けた、
のであった。それ故、上告人は、その当時甲府駅職場で慣行的に認められていた組合活動の一環として職場を離脱し、出札業務運営の不備な点を指摘するために出札職場へ立ち寄って小尾助役へ話しかけ、その後、分会執行委員として出札班組合員の相談を受けたものである。
このような上告人の行為の状況に関する重要な事実の審理判断を怠り、本件免職処分の判断の基礎とした高裁判決には、審理不尽の違法がある。
三 第二回―助役席でのやりとり(第一回)―
1 高裁判決の問題点
事件当日の上告人の行動について、第二回目に出札室を訪れた経緯について、高裁判決は、「被控訴人は、同日午後四時二〇分頃、小荷物担当助役の承認を受けることなく小荷物室を出て出札室に赴き、執務中の小尾助役に対し『勤務割表は鉛筆ではなく、ボールペンで書くようにしろよ。又、七日にチェックに来る。』と述べるなどして、午後四時四〇分頃まで同助役の執務を妨害した。」(一二、一三丁)としている。
この高裁判決には、同じ経緯を地裁判決が、「原告は、午後四時三五分ころ、再び出札室に出向き、まず小尾助役に勤務割表の提示を求めて、それが鉛筆書になっていたのでボールペンで書くようにした話した」(三〇丁)と適切に認定しているのに反して、種々の誤解を招く、審理判断の遺脱が存在する。
2 時間の認定の不正確さ
先ず、右高裁判決は、上告人があたかも四時二〇分から四時四〇分まで、二〇分もの間、「執務を妨害した」かのような表現をしているが、上告人は、第一回目に出札室を訪れた後、他職場の勤務予定表のコピーを山内職員に見せるべく、外へ出て四時三五分頃出札室へ戻ったものである(<証拠略>)。(証拠略)によっても、小尾助役が四時二〇分頃出札室へ戻り、自席について当日の運転列車一覧表記入用の資料作成のため資料作成を始めたところ、同席の前に上告人が来たというのである。そしてその後、交わされた会話も二言、三言であることから考えるなら、その間のやりとりは、到底数分間を超えるものではない。
3 勤務割表を求めた行為の評価の誤り
次に、上告人が、小尾助役に対し、勤務割表の呈示を求めたのは、出札班組合員から小尾助役の勤務作成の問題について再三相談を受け、どのような勤務作成がなされているかを確認するためであった(<証拠略>)。小尾助役も、上告人や山内職員らが勤務について問題にしているらしいことは、「うすうす感じて」いた(<証拠略>)。そうであるからこそ、小尾助役は、上告人の求めに応じて、席を立って勤務割表を上告人に手渡したのであった(<証拠略>)。それ故、上告人が小尾助役に勤務割表の呈示を求めたことも十分理由のあることであった。
4 ボールペン書を求めた行為の正当性
さらに上告人が、勤務割表を鉛筆ではなく、ボールペンで書くように求めたのは、従来甲府駅と組合との間で最三確認してきた、勤務割表を後に書き替えられないように鉛筆以外のもので書くようにとの現協確認に従って申し入れたにすぎず(<証拠略>)、何ら無理な申入れではなかった。
以上の次第で、右高裁判決は事実の一部のみをとらえて、漫然「執務を妨害した。」との認定に至っているが、これは事実の全体状況の評価ないし審理判断を誤ったものである。
四 第二回―七番窓口でのやりとり
1 高裁判決の内容
高裁判決は、その後の七番窓口での上告人と小尾助役とのやりとりについて、次のように認定している。
「その後、被控訴人は出札室の下りホーム側に設けられていた食堂において、他の職員らと出札班内の問題などを話し合っているうち、出札係職員山内猛から、『出札班では自由年休が強制的に入れられている、七月七日の自由年休と八日の公休日の変更を拒否された、小尾助役に勤務種別変更を申し入れたが取り合ってもらえない。』と聞き、午後四時五〇分頃、再度出札室内に赴き、自席で執務中の小尾助役に対し、山内職員の勤務種別変更について抗議口調で話かけ、更に七番出札窓口に移動した同助役を追って、同所で同人に対し『勤務予定表作成時の公休の勤務認証について出札班役員に言ったのと同じことを言え。』と詰問し、同助役がこれに答えずにいると『黙っているのは事実だな。』と大声でどなり、果ては同助役の耳元で『嘘つき助役』と大声を出し頬につばを吐きかけるなどした。」(一三丁)
しかし、この高裁判決では、上告人が小尾助役に「抗議口調で話かけ」るようになった直接の動機、上告人の行為を評価するにあたって考慮されるべき行為の状況など、重要な事実についての審理判断がなされていない。
2 上告人の直接の動機
上告人が右のような行為に及んだ直接のきっかけとしては、地裁判決が認定するように、以下のような事情が存在した。
「山内職員は、この休憩室での話の後、小尾助役に対し、小荷物室の例も加えて前記七月七日、八日の勤務種別変更の件で話をしたが、小尾助役は、再びそんなことは言った覚えはないと否定した。」
(上告人が)「休憩室に入ったところ、山内、深沢両職員が食事をとっていたが、山内職員は食事が喉を通らない様子であった。同人の話によると、午後三時四〇分ころ、休暇の件で小尾助役に説明を求めたが、とりあってもらえなかったということであり、同人はかなり興奮、憤慨していた。そこで、原告は、小尾助役と話をしようと山内、深沢両職員とともに同助役のところに行った。」(三〇丁)
すなわち、上告人が食堂を訪れたところ、山内職員は食事がたくさん残っており、同人に尋ねたところ、その理由は、上告人が出札室からいなくなった三時四〇分ころ、山内職員が小尾助役に年休の問題で話しかけたところ、同助役はその話を全く取り上げてくれなかったため、かなり憤慨していたためであった(<証拠略>)。そこで、上告人は、それまで山内職員の年休問題を出札班での直接交渉に委ねていたが、その時の山内職員の憤慨状況を見るにつけて、分会執行委員として、組合員が食事を満足にとれないほど憤慨している状況を早く取り除かねばならないと考え、山内職員や深沢職員とともに小尾助役のところへ赴いたものである(<証拠略>)。
3 上告人の行為の状況
その後上告人は、「小尾助役の机の前で、原告は同助役に対し、『出札だけなぜ他の職場と違うのか。年休が強制的にいれられている。』などと話し、山内職員の七月七日、八日の勤務種別変更の件について話しかけた。しかしながら、同助役は原告らの発言に対し、全く応答しなかった。そして、小尾助役は自席を立って七番窓口に移動した。原告らも、七番窓口に入った小尾助役のところに移動した。原告は、客の切れるのを待って、同助役に対し、『勤務予定表作成時の公休の勤務認証について、出札班役員に言ったのと同じことを言え。』と詰問した。同助役が、これを相手にしなかったところ、原告は、『黙っているのは班役員に言ったことは事実だな。』などと大声で繰り返していたが、突然、七番窓口の電算機の内側に入り、同助役のすぐ脇で、大声で『うそつき助役』と怒鳴った。この時、隣の六番窓口で執務していた窪島職員が、『助役、窓をしめて後ろで話をしたら』と発言したことがきっかけとなり、小尾助役は自席に戻った。」(地裁判決三〇、三一丁)
すなわち、上告人は小尾助役に対し、当初から抗議口調や大声であったものではなく、山内職員の年休問題について小尾助役に話しかけるうち、全く応答もせずに上告人の質問から逃れようとする小尾助役の対応の前で、抗議口調や大声となっていったものである。ひるがえって言えば、上告人は、「話をして、小尾さんが忙しくて、私のほうに後で話をするよということになれば、私も後で話をしたと思うんですが」(<証拠略>)という気持ちであったのであり、小尾助役の対応にも問題があったといわざるをえない。
また、七番窓口に移動した小尾助役に対し、上告人が申入れを継続した態様についても、右地裁判決の認定にあるように、上告人は、「客の切れるのを待」つなど小尾助役の業務に支障を与えないよう配慮しているが、高裁判決ではそのような行為の状況についての審理判断がなされていない。
大声をあげた態様についても、高裁判決は漫然と「耳元で」と認定しているが、その意味内容は極めて不明確である。小尾助役の証言によっても、同人自身が上告人の行動を直視していたわけではなく、「至近距離」「耳元の近くまで顔が迫った感じ」という感覚でとらえているにすぎない(<証拠略>)。他方、上告人の供述によっても、窓口のマルスの機械が音を立てており、上告人を無視し続ける小尾助役に対して憤慨して大きな声にはなったが意図的に耳元に近づいて声を出したことはない(<証拠略>)。それらを総合すれば、あたかも上告人が意図的に小尾助役の耳元で大声を出したという認定はできず、小尾助役の「すぐ脇で」(地裁判決)大声が出されたとの事実記述が自然であり、高裁判決の表現は誤解を招くものである。
4 「つばの吐きかけ」の事実は存在しない
高裁判決は、上告人が小尾助役に対し大声を出すとともに「頬につばを吐きかけるなどした。」と、上告人の行為を認定する。
しかし、地裁判決が、「他方、証人小尾公造の証言中、原告が七番窓口の電算機の内側において、同助役の耳元で大声で「うそつき助役」と怒鳴った際、つばをはきかけ、そのため同助役の右頬に原告のつばがべっとりとついたとする部分及び同趣旨の現認報告書(<証拠略>)は、原告本人の尋問結果、証人山内猛及び同深沢一幸の各証言に照らすと、原告が大声で『うそつき助役』と叫んだ際、至近距離であったためつばが飛んだものを誇張している疑いもあり、結局、右証人小尾公造の証言等から、原告が意図的につばをかけたものと認定することはできない。」(三三丁)と判断するように、高裁の右認定が適切な証拠評価のもとになされたとは考えられない。
すなわち、控訴審での証拠調べの結果を検討しても、到底地裁判決の認定を覆すべき事情は存在しないのである。
先ず、つばの吐きかけ行為が記載されている乙第五号証(略)が、その作成経緯及び書き直しの状況から見て信用に値するものでないことは、前述のとおりである。つばの吐きかけに関する部分も、同号証のNO.4の原本を見れば、書き直された状況は明らかである(<証拠略>)。
さらに、控訴審における小尾証言にも次のような問題が存在する。
小尾証言は、上告人が同助役の耳元で大声で怒鳴り、つばを吐きかけたと述べる。そしてそのつばは、話していてつばが飛ぶというようなものではなく、しかもそのつばは怒鳴られるのと同時であり、瞬間的なものだと述べている(<証拠略>)。しかし、そもそも意識的につばを吐きかけるには口を窄めなければならないのであり、怒鳴るのと同時につばを吐きかけるなどということはできようはずがなく、これは極めて不自然な供述である。また、同助役は吐きかけられたとするつばが「ズルズル、ヌラヌラ」であったと述べる一方、そのつばをハンカチで拭うわけでもなく、手で拭って上着で拭いたと述べるのみで、すぐ近くに炊事場があるにもかかわらず、手や顔を洗うということもしていない(<証拠略>)。さらに、右のような行為が従前より被控訴人からなされていたというならともかく、同助役は、上告人との関係についてつばを吐きかけられるようなものと認識してはいなかったと述べているのであるから(<証拠略>)、真実そのような被控訴人の行為があったとするなら、同助役がその場で「つばを吐きかけたな」という以上になんらかの抗議もしくは注意をするのが自然であるが、そうした事情もなかった(<証拠略>)というのは不可解である。かかる事情に照らせば、そもそも同助役が述べるようなつばの吐きかけ行為は存在しなかったと考えるのが自然である。
五 第二回―自席に戻ってのやり取り
高裁判決は、小尾証言や乙第五号証をもとに、上告人が小尾助役の席で、同助役のかけようとする電話を切ったり、耳元で大声を出したと認定する(一三、一四丁
しかし、事実は小尾助役が電話をかけようとしてかからずに、自ら電話を切ったものであり、また、上告人は小尾助役の耳元へ接近したことはなく、右認定は誤りである(<証拠略>)。小尾証言は、つまるところ乙第五号証に基づいているのであるが、同号証については、右事実関係と上告人の位置とを示す、現認報告書NO.5「私は再び5122の」以下「とどなった。」までの、電話を切った、耳元でどなった等の状況を述べる部分(<証拠略>)並びにNO.5の見取図における上告人の位置を示す部分(<証拠略>)について、書き直しがあったものであり、信用できないことは明らかである。
六 第二回―出入口でのやり取り
1 高裁判決の認定
小尾助役と上告人との出札室出入口でのやり取りについて、高裁判決は、次のように認定する。
「身の危険を感じた小尾助役は駅長事務室に助けを求むべく『人を呼んで来る』といって席を立ち出入口に向って歩きかけたところ、被控訴人は同助役に絡みつくようにして後を追いかけ、出入口において、靴をはこうとした同助役の右足の脛部を足で蹴りあげた。被控訴人は更に駅長事務室に向かう小尾助役を追いかけたが、事件をきいてかけつけた小俣営業総括助役により右腕をつかまれ駅長室に連行されようとした。しかし、被控訴人はこれを振り切り、『理由は助役に聞け。』と叫びながら小荷物室へ戻った。」(一四丁
2 「蹴りあげた」との認定の曖昧性
高裁判決の「蹴りあげた」との認定は、極めて曖昧かつ悪評価を加えた認定であるといわざるをえない。
(1) 先ず、右認定が小尾助役や被上告人の主張するような態様での「蹴りあげた」という趣旨であれば、地裁判決が「但し、証人小尾公造が『原告がビシッという音とともに柔道でいう足ばらいで決まるという感じで蹴ってきました』と供述する点は、検証の結果から認められる出札室出入口の広さなどを考慮すると多分に誇張をふくむものと推認される。」(三三丁)と述べるように、客観的状況に反するものであることは明らかである。そして、右被上告人の主張に関わる各証拠を検討すれば、「出札室出口における暴行の点についても、処分理由のいうように『蹴りあげた』とまでは認められ」ないのである(地裁判決三五丁)。
その時の出口における両者の位置関係について小尾証言は変遷し、極めてあいまいである。(証拠略)においては、出札室を向いている同助役に対し上告人が右斜め前側面から同助役に相対するように位置していたとする(<証拠略>)。そのような位置関係で、一審の証言においては、上告人の右足で右足脛の右側面を蹴られたとするのであるが、この位置関係のもとでは力を込めて蹴ることができる同助役の右足は、脛前部もしくは左側面であり、右側面を蹴ることは不可能である。そこで同助役は、控訴審において上告人が同助役の右斜め後に立って一緒に出札室の方を向いた状態で蹴ったと証言し(<証拠略>)、上告人の位置について供述を変えている。さらに一審の証言においては、柔道の足払いのように蹴ったと述べているが、狭い出入り口で同助役の述べるような位置関係のもとで柔道の足払いのような蹴り方をするのは不可能であり(<証拠略>)、控訴審における同助役の証言においても「足払いとは全然位置が違」うことを認めている(<証拠略>)。これは、(証拠略)における位置関係及び態様が、事実に反することを自認するものに他ならない。
そして同助役は、控訴審においては前記のように右斜め後からの蹴り、いわゆるサイドステップキックであったと供述を変える(<証拠略>)のであるが、この証言自体唐突なものである上、そのような蹴りを「蹴りあげた」などと評価できないことは明らかである。
(2) 他方高裁判決の認定が、右小尾助役が述べるのとは異なった態様を指すのであれば、その具体的内容は全く明らかにされておらず、行為の状況についての審理判断が尽くされていないといわざるをえない。
3 上告人の行為の直接の動機について
さらに、右高裁判決は、上告人が小尾助役を追い掛けたことと蹴ったこととを連続する一個の意思に基づく行為であるかのような認定をしている。しかし、地裁判決が「原告も、同助役のあとを追い、同助役が玄関口で靴を履いたところ、原告は『俺のサンダルを踏んだな』と言って、同助役の右足の脛の部分を蹴った。」(三一丁)と認定しているように、足の接触に至る直前の状況として、出入口において小尾助役が上告人のサンダルを踏み続けたという状況があるのである。原審の小尾証言においても「私が靴を履いた瞬間ですか、俺のサンダルを踏んだな、という声は耳にしました。」と述べて、蹴られたとする前にそのようなやりとりがあったことを認めている(<証拠略>)。それゆえ、右高裁判決は、上告人の行為の状況と上告人の行為にかかわる直前の契機について重要な事実の審理判断を怠っているものである。
七 高裁判決の問題点
以上のように高裁判決は、到底信用性のある証拠として採用できない乙第五号証や小尾証言に基づいて、誤った事実を認定し、あるいは上告人の行為の状況に関する具体的かつ適切な審理判断を怠り、漫然と上告人の行為に誤ったまたは一面的な悪評価を加えて、本件処分を有効としているものであり、そこには審理を尽くさずまたは適切な理由を付さない違法があるといわざるをえない。そのことは、結局において冒頭に掲げた法令の解釈・適用を誤ったことに帰するものである。
第四 上告人の本件行為の前後における態度について
一 高裁判決の認定
高裁判決は、「被控訴人の不都合な行為」として、本件事件の二年前(昭和五五年)の上告人の行為に関し、「(証拠略)によると、控訴人の当審における主張1(一)の(1)ないし(7)の事実を認めることができる。右認定に反する当審における被控訴人本人尋問の結果部分(第二回)は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。」(二二丁)と認定する。
二 本件処分の理由として認定・考慮することの問題点
右認定にかかる主張は、控訴審において初めてなされたものであり、「懲戒処分発令書」(<証拠略>)はおろか、第一審の審理においても全く具体的主張もなく、被上告人において立証予定もないものであった(第一審では、唯一被告準備書面(一)において「昭和五五年三月以降、甲府駅管理者に対し、この種のいやがらせを行い、暴言をはくなど、職員として著しく不都合な行為を数多く行ってきたもの」との主張があるにすぎない)。そして、三橋証言で明らかになったよう(<証拠略>)で提出された業務日誌は、駅長に逐一見せることなく三橋助役が保管していたものであり、その内容を被上告人から求められて報告したのは、本件処分がなされたあとのことであった(<証拠略>)。それゆえ、右認定にかかる主張は、本件処分当時に考慮されていたとは到底考えられず、本件処分の効力の判断において重視されるべき事情ではない。そして、第一審において、被上告人が詳しく本件事件の直近の事情として主張・立証した、飯塚助役に対する上告人の「いやがらせ」について、地裁判決が「更に、被告は、処分の際に考慮した事情として、昭和五七年八月一日、原告が飯塚助役に対して、いやがらせを行なったと主張するが、この点に関する証人飯塚雄三の証言は曖昧であり、到底被告の主張のとおりの事実を認めることはできない。」(三五、三六丁)としていることに鑑みれば、右高裁判決の認定は極めて安易な認定といわざるをえない。
三 証拠に基づかない事実認定
右高裁判決は、被上告人の準備書面における主張をそのまま被上告人(控訴人)の主張として判決で事実整理し、さらに認定している。しかし、これらの主張は、右判決が認定の根拠として用いたとする(証拠略)と、多くの点で相違し、そのため右高裁判決の認定も証拠に基づかない認定となっている。
1 「控訴人の当審における主張1(一)の(1)」について
高裁判決は、漫然と被上告人の主張を採用し、上告人が「テストのやり方が悪い。翌日までに悪い点について被控訴人まで書面で提出せよ。」と述べたと認定する。しかし、(証拠略)によれば、「テストのやり方が悪い。」との趣旨の発言をしたのは川手職員であり、右証拠のいずれにも上告人がかかる発言をしたとの部分はない。また、右各証拠によれば、上告人は「助役の悪い点があったら」書面で提出するようにと述べたのであり、一方的に書面の提出を求めたものではない。このことは、後に述べるように上告人が三橋助役と川手職員との仲裁のために話にはいったという事情とあいまって、上告人の行為の評価を正確になすために重要な事実である。
2 「同(2)」について
高裁判決は、漫然と被上告人の主張を採用し、上告人の申入れに対し、「三橋助役はやむなく同職員の当日の勤務を非休に変更し、助役が自分でその穴埋めをした。」と認定する。しかし、(証拠略)によれば、山寺職員の勤務変更が決まったのは、上告人と首席助役との話し合いの結果、首席助役が最終的な判断を下したものであり、三橋助役が上告人の申入れに対し直接自分での決定を余儀なくされたわけではない。さらに、変更分の対応をしたのは小俣助役である(<証拠略>)。
3 「(同(4)」について
高裁判決は、漫然と被上告人の主張を採用し、三橋助役が前夜上告人に対し日勤勤務に指定したところ、翌日上告人が指定された勤務につかなかったと認定する。しかし、(証拠略)、三橋助役が勤務の前日に上告人に対し電話で、勤務は徹夜勤務でも日勤勤務でもどちらでもよいと申し出、上告人が日勤勤務を選んで勤務が決まり、さらに三橋助役が受付を手伝って欲しいと申し出たが、上告人がそれを断わったので三橋助役は「そうか」と述べて電話を切ったが、翌日庶務助役から受付をやるのが当然だと言われて、上告人に受付をやるように申し入れたが、上告人が「昨日は、そんなことを言わずにどちらでも自由にやってくれとのことではなかったか。」などと述べて拒否したというものである。すなわち、右認定のように日勤勤務の指定に対し日勤勤務につかなかったというような事実関係ではなく、問題となったのは受付の手伝いをやるかやらないかであり、前夜の段階では上告人の拒否に対し三橋助役は「そうか」といって引き下がっているのである。
4 「同(6)」について
高裁判決は、漫然と被上告人の主張を採用し、三橋助役に対し上告人が雨宮職員の薬袋を持参し、「診断書の代わりに薬袋があるから病欠と認めろ。」と迫ったと認定する。しかし、(証拠略)、先ず勤務割を訂正しろと申し入れたのは、雨宮職員、山下職員であり、その後上告人と渡辺職員が過去の経緯に照らし薬袋でいいわけだと述べたというものである。すなわち、上告人は、他の職員の申入れの際、病休取り扱いの運用について脇から解釈を述べて援護したというものであり、右認定のように上告人自身が病欠を迫ったり、ましてや薬袋を持参したなどとの事実は、証拠上存在しないのである。
5 「同(7)」について
高裁判決は、漫然と被上告人の主張を採用し、三橋助役に対し上告人が「かまわないから左側に書け。」などと暴言を吐いたと認定する。しかし、(証拠略)、上告人は、三橋助役の目の前で飯窪職員に対し右のように指導したというのであって、三橋助役に対して直接発した言葉でないことは明らかである。また、後にも述べるように右上告人の指導は決して非難されるべきものではなく、三橋助役自身も「暴言とは言ってません。規定に反するからここに書いたんです。」(<証拠略>)と述べて、上告人の行為を「暴言」とはとらえていない旨を明言している。
四 行為の動機・状況の評価の誤り
さらに、高裁判決は、前記三橋助役に対する上告人の言動を「不都合な行為」として、本件処分を正当化する事情として評価するが、その内容は以下に述べるように信用性に欠けるとともに到底懲戒処分の根拠足りえない行為である。
1 「(1)昭和五五年四月一〇日」について
この日川手職員は、ターレット(小荷物運搬車)のブレーキの効き方が悪いので、内勤助役に修理用の工具を出してくれるように依頼した。すると内勤助役が三橋助役を呼出し、三橋助役が、小荷物職場に来て、川手職員の依頼に対し工具も出さずにただターレットを押してブレーキをかけただけで「異常がない。」と述べたため、川手職員は、「エンジンを始動して走らせてみないと異常の有無はわからない。」と述べて言い合いになった。その時上告人は、営業係として小荷物室にいたが、話合いに加わり、三橋助役に対し、「よく考えて助役に悪い点があったら書面で出すように。」と促した。そして、三橋助役は翌日、小荷物職員の前で口頭陳謝をし、右トラブルは何事もなく収まったのである(<証拠略>)。
そして、上告人は、右両者の言い合いを聞いて分会の執行委員としてその場のトラブルを整理するために、話合いに加わったものであり、上告人は、双方から事情を聞いたところ、このトラブルの原因が三橋助役のブレーキ検査のやり方にあると思われたので、その場を収めるために三橋助役に対し、右のような発言をしたのである(<証拠略>)。
それ故、この時の上告人の言動は、執行委員として三橋助役と川手職員とのトラブルを仲裁しようとの目的であったこと、書面の提出を求めたのも条件付で同助役の判断に委ねたものであること及び同助役自身も翌日この件で職員の前で「不慣れで迷惑をかける部分もあると思って」口頭陳謝していること(<証拠略>)などの事情に照らせば、上告人にはなんら責められるべき点はなく、懲戒に際して考慮されるべき事情とはなりえない。
2 「(2)同年五月五日、六日」について
甲府駅分会のソフトボール大会は、以前から恒例となっており、上告人が甲府駅に着任した一九七六年以前から、年一回五月連休明けに開催され、二日に分けて分会員はいずれかに参加し、駅側も全員の参加が可能なように勤務を作成してきた。
この年も、分会は、四月二〇日の翌月の休暇申出までにソフトボール大会の開催を駅側に伝え、休暇申込簿にはまとめて、五月七日か八日のいずれかに休暇か徹夜勤務あけを入れるように申し込んでいた(<証拠略>)。
三橋助役も事前にできるだけ参加させて欲しいとの情報を得ていたが、五月分の勤務予定表が作成された時点で、小荷物職場の山寺職員が、ソフトボール大会に参加できない勤務となっており、しかも五月七日の勤務は、小荷物職場ではない他職場(内勤)の助勤とされていた。そこで勤務発表の日から、三橋助役に対して執行委員の被控訴人と小荷物班の班委員である渡辺が中心になって、山寺職員の勤務の変更を再三にわたって申し入れてきた。そして、五月五日になって三橋助役との話し合いがつかないので、上告人が首席助役に直接申し入れをなし、翌六日になって首席助役を含めた判断で、山寺職員の勤務が非休に変更されたのである。その結果、小俣助役が代わりの対応に入った(<証拠略>)。
右申し入れは、従来から行われてきた組合行事のために、上告人が執行委員の立場で他の組合役員とともに組合員の休暇を申し出、これに対し駅側は首席助役を含めた協議の上、組合の申入れを受け入れて非休扱いにしたというものであり、このことは通常の組合活動の域を出るものではなく、懲戒に際して考慮されるべき事情とはなりえない。高裁判決は、右経緯の中で「強硬な申入れがなされた」と認定するが、三橋証言を見てもなんら「強硬」を示すような特別な事情はなく、また、組合と使用者との交渉が強硬かどうかは、交渉担当者の懲戒責任を生ぜしめるものではない。
3 「(3)同年七月二六日」について
分会の小荷物班は、従前から職員の休憩する食堂のクーラーが小型旧式で冷房効率が悪いため、新式の大型クーラーを入れるように要求していた。三橋助役は、この要求を拒んでいたが、交渉の席で職員が「クーラーが入らないなら、クーラーの効いている事務室で食事をしてもいいか。」と尋ねたところ、それもだめだと応答した。そこで、助役だけが涼しい場所で休憩できるのは不公平だという話しになり、これに対して三橋助役は、「クーラーは入れられないが、私も事務室では食事はしない。」と言明したのである。業務日誌には、「外で仕事をしても良いと言った」とあるが、これは食事のことであり、「仕事」と記載されているのは誤りである(<証拠略>)。
ところが七月二六日、上告人は、三橋助役が事務室で食事しているのをみかけて、「助役、話しが違うじゃない。」と申し入れ、周囲にいた職員も口々に「向こうで食べたらどう。」などと述べていたところ、三橋助役は、食べかけの食物を持って食堂へ移動したので、その場はそれで終わりになったものである(<証拠略>)。
三橋証言は、さらに上告人が、三橋助役に対し、食堂をも出るように求め、同助役が小荷物取扱所の受付付近に赴いたところ、上告人が如雨露を持ってきて暴言を吐いたというのであるが、その証言は到底信用できない。何故なら(証拠略)には、三橋助役が食堂を出たとの記載はなく、その点に関する証言は曖昧である上、客から見えるような受付窓口で食事したという極めて不自然なものである(<証拠略>)。また、上告人が如雨露で水をかけようとしたとする行為についても、真実そのような行為があれば当然他の上司に報告され処置されてしかるべきであるのに、その点の記憶は不明確であり、かつその行為に駅側からの事情聴取や処分はなかったもので極めて不自然である。そして、三橋証人の証言態度も、上告人代理人の質問によって「あっ、そういうことをおっしゃるなら、多分、私は話したと思います。」「そういうふうに追及されるんでしたら、そういう答えになります。」などという極めて不誠実な証言態度を見せているのである(<証拠略>)。
4 「(4)同年八月三一日」について
八月三一日の勤務について上告人は、前日夜、三橋助役から電話で「日勤と徹夜勤務とどちらでもよいがどうするか。」と尋ねられ、「日勤にして下さい。」と答えた。その際三橋助役は、「三一日は受付を手伝って欲しい。」と申し出たが、上告人が「それはだめだ。」と答えたところ、三橋助役は「そうか。」と述べて電話を切った。そして、翌日三橋助役は、庶務助役から受付をやらせるように言われて、上告人に対し、再度受付をやって欲しいと申し入れたが、上告人は「昨日は、そんなことは言わずにどちらでも自由にやってくれということではなかったか。」と反論して受付を拒否した(<証拠略>)。
右事実経過によれば、勤務の前日に決まっていたのは上告人が日勤勤務につくということであり、受付業務については三橋助役がいったん申し出たものの「そうか。」と述べて引き下がったのである。すなわち、そこにあったやりとりは担当業務の打診と拒否であり、指揮命令ではなかった。そして、翌日他の助役から促されて再度上告人に打診した三橋助役と前日に受付担務の申し出は撤回されたはずだと考えた上告人との間に言い合いがあったとしても、それは指揮命令違反などではなく、上告人の懲戒に際して考慮されるべき事情ではない。
ちなみに、小荷物の受付業務は現金を扱い、不足金が生ずれば担当者に弁納責任が発生するために、充分な引継ぎが必要な業務である。通常この引継ぎは、窓口の混んでいない朝八時二〇分になすため、受付業務は徹夜勤務で担当することとなっている。ところが日勤勤務の場合、一七時〇五分が勤務終了時刻であるが、窓口受付は夕方に駆け込みで混雑する上に一七時まで開けておくため、終業時刻までに現金などの整理と引継ぎをすることは困難である。それ故、受付業務は徹夜勤務が通常で日勤勤務はきわめてまれであった。また、受付業務については、組合の要求にもかかわらず駅側は一人勤務で充分対応できるとして、補助要員を一切つけなかった。それ故、「受付を手伝う。」ということはなく、受付に入れば全て一人で対応せざるをえなかった(<証拠略>)。
5 「(5)同年一〇月二七日」について
(証拠略)この日は、午前一〇時から定例現場協議(月二回)が開催されることになっていたが、現場協議では組合担当者が、職場の勤務予定表をもって現場協議に臨んでいた。そして翌月の勤務予定表はその月の二五日までに作成されることになっていたが、三橋助役は遅れて小荷物職場の勤務予定表を完成させておらず、未完成の勤務予定表を事務室の机上に置いたまま、小荷物引渡窓口に入っていた。そして、上告人は、現場協議の出席者であるが、事務室に赴き勤務予定表を借り出した。するとこれに気付いた三橋助役は、上告人を追いかけて、返すように言ったが上告人がこれに応じなかったため、返還を断念して引き返した。
そして、三橋証言は、現場協議で勤務予定表が用いられることは知っており(<証拠略>)、また上告人が同様に勤務予定表を借りるということはあったというのであるから(<証拠略>)、その日のやり取りが取り立てて問題とされるような状況ではなかったのである。三橋助役は、上告人が借り出すに際して断わったか断わらなかったを(ママ)問題にしているが、上告人が借り出す際に三橋助役が居らず、また、直ちに気がついて追いかけ上告人が借り出したことを確認しているのであるから、なんら異例なことではないのである。むしろ、三橋助役がかかるやりとりを日誌に書き残したのは、「それは、二五日までに勤務予定表を作成しなければいけないのに、この日はもう二七日ですよね。二日も遅れています。できるだけ早く作ろうと私なりに努力していたつもりなんです。それを持っていかれたのでこういうふうに書いたんです。」(<証拠略>)と述べているように、自らの恥をさらされることを問題としたからである。加えて、三橋助役はこの日の朝に川手職員に暴力をふるったことを問題とされ、後日謝罪文を出すという事態を引き起こしており(<証拠略>)、そのような状況が三橋助役をして上告人の行為に必要以上に憤慨させ、日誌に書き留めさせたに過ぎないのである。
以上の次第で、上告人の行為は、なんら本件懲戒処分にあたって考慮されるべきものではなかった。
6 「(6) 昭和五六年二月一五日」について
(証拠略)病気欠勤については、診断書の持参が原則であるが、当時他職場では薬袋でもよいとの扱いもあった。そして、三橋助役自身、山崎職員に対し診断書を提出させないまま自ら診断書を取りに行って病欠としたことがあった。そして、二月一五日今度は雨宮職員が山下職員とともに二月三、五日について病欠扱いにして欲しいと求め、さらに分会の役員である上告人と渡辺職員とが従来の経過を理由に薬袋で病欠処理することの正当性を主張したところ、三橋助役は自分で医者から診断書を取って病欠にすると述べたのである。
短期の病欠について診断書を必要とするか薬袋で足りるとするかは、当時の駅側と組合とに主張の対立があったところであり、雨宮職員の件があった後の昭和五七年三月一〇日になって、甲府駅長から四日以内の病欠でも診断書を提出するようにとの申し入れが組合に対してあったように(<証拠略>)、雨宮職員の件があった当時は、まだ、薬袋をもって診断書に代えるという扱いもなされていたのである。それゆえ、駅側の意を受けてあくまでも診断書の提出を求める三橋助役とそのような取扱は認めないとする組合側との間に、意見の対立と交渉があり、交渉の結果三橋助役が病欠をあくまで拒否することはせずにぬえ的に自ら診断書を取りに行って病欠処理にしたとしても、それは交渉の結果であって、その交渉を行った組合側の担当者である上告人が個人的に責められるべきことではない。そして、三橋助役は、同様の扱いを他の職員に対して行っているのである。
さらに、従前から駅側との現場協議の確認によって、短期間(四日以内)の病欠は診断書ではなく薬袋でもよいとされていたのは、短期間の病欠においては、診断書を要求することが、数千円の診断書代を職員に負担させる、診断書上は加療期間が五日以上となるのが通常で不必要に休暇を取得できることになる、などの不都合な点を有するため、労使が納得の上診断書を不要とした経過があった(<証拠略>)。
以上の次第で、右上告人の行為は本件懲戒処分において考慮されるべき事情ではない。
7 「(7)同年四月二三日」について
(1) 職場交渉でのやりとり
(証拠略)、四月二三日は本来ストライキが予定され、小荷物職場の分会員は前日の四月二二日から当日朝まで職場で待機していた。ところがストライキが直前で中止となったため、小荷物職場では集まった分会員二五名と三橋助役との間で、小荷物受付窓口で不足金が生じた場合の責任の所在について交渉が開催された。
駅側の指導は、受付の担当責任者が自弁すべきであるというものであったが、分会は、不足金の弁納責任すべてを個々の職員に負わすことのないようにして欲しいとの要求を三橋助役に対して行っていた。これに対し、三橋助役は「私個人では回答できないから、時間をくれ」と述べて具体的な回答をしなかった。すると、分会執行委員の立場で交渉にあたっていたに(ママ)上告人から、「ウルサイ、ドケシ」と三回言われたので、三橋助役は内勤に引き上げたというのである。
このときの言動は、職場交渉の中でのやりとりであり、組合員から多少強い調子の言葉が発せられたとしても、本件懲戒処分において考慮に値する事由にとはなりえないものである。
しかも、この日は、ストライキも中止となったので、上告人は勤務のない職員を早めに返すため、交渉を早々に終えたいと考えていたが、三橋助役が煮えきらない態度を続けていたために、「助役、もう行っていいよ。」と声をかけてその日の交渉を打ち切ろうとした。そして、その場にいた職員もこれを聞いて何名かが口々に「助役、もう行けし。」「どけし。」と声をかけ、それを受けて三橋助役もその場を退席したというのが実際である(<証拠略>)。すなわち、二五名の職員が集まって交渉している中で、他の組合員も口々に三橋助役に声をかけていたのである。そのような中での発せられた言葉をとらえて、すべて上告人のものとし、上告人に責めを課すことは不当なものである。
(2) 飯窪職員の年休申請
(証拠略)、また、同日の夕方小荷物職場の飯窪職員が、事務室で年休の申込をするため年休カード(年次有給休暇票)の計画年休欄に申込記載をしようとしたが、これを見た三橋助役が、「そこはだめだ。右側に書きなさい。」と述べて、三回にわたり、自由年休の申込をするように命じた。上告人はこのようなやりとりを両名のそばで見ていたが、飯窪職員に対し「かまわないから、こちらへ書け。」と指導し、同職員は再度三橋助役のところへ申請した。すると、同助役は、飯窪職員に対し「何故指導したのに左側に書いた。」と述べ、これに対し飯窪職員が「何の根拠で。」と問うたので、同助役は、「何故指導したのに左側に書いた。」と述べて、庶務へ引き上げたというのである。
ところで、右の自由年休と計画年休とについては次のような事情があった。国鉄の年次有給休暇には、計画年休と自由年休とがあるが、年次有給休暇票(<証拠略>)は、いずれでも申込ができるようになっている。そして、計画年休の具体的日割については、「関係職員の希望を充分尊重しなければならない。」とされ(<証拠略>)、また、両者の付与順序も計画年休が先とされていた(<証拠略>、日勤(現業)の労働時間短縮実施に関する協定付属了解事項別紙2日勤(現業)時短質疑応答集問19)。それ故、右の三橋助役の命令はこれらの規定に照らしてなんら根拠のあるものではなかった。
そして、上告人は、このような三橋助役と飯窪職員とのやりとりを見ていたが、飯窪職員が分会執行委員である上告人の応援を求める姿勢を見せたため、飯窪職員に対して計画年休で申し込んでも大丈夫だと力づけたものであり、その指導は内容的にもなんら問題とされる点はない(<証拠略>)。逆に、三橋助役が上告人の発言には問題があると考えるなら、直接に上告人に対して述べるのが通常であろうが、同助役はそのようなこともせずに、引き上げてしまったのである。
それ故、その指導自体むしろ正当な内容であり、また、その発言も三橋助役に対してなされたものでない右事実関係のもとで、上告人の言動は、到底懲戒処分において考慮されるような「暴言」などとは言いえないものである。
五 懲戒処分において考慮されるべき「不都合な行為」は存在しない
以上述べたように、高裁判決の認定する上告人の「不都合な行為」は、証拠に基づかない認定が多数存在する上、その内容も詳細に検討すれば到底懲戒処分にさいして考慮されるようなものではないのである。それゆえ、被上告人の主張をもって漫然と上告人の不都合な行為として本件処分の悪情状として考慮した高裁判決は、証拠に基づかない判断と審理不尽という二重の法令解釈の誤りをなしているものである。
さらに、三橋助役自身を論ずるなら、同助役は小荷物職場に赴任後職員の言うことを素直に取らず、なおかつ喧嘩早いという状況であり、昭和五五年一〇月二七日には川手職員に対する暴行を引き起こし、謹慎一週間の処分を受けている。さらには、その失策を補うために、川手職員に対する理由のない処分を企てる行為にも及んでいる(<証拠略>)。そのような三橋助役が小荷物職場で組合の役員として対応していた上告人に対し、恒常的に悪感情を持っていたであろうことは想像に難くなく、同助役の記憶や表現を素直に信用することには、多くの問題があると言わざるをえない。
第五 上告人の懲戒処分等の処分歴
高裁判決は、上告人の処分前歴を「本件処職処分の相当性」の理由の一つとして掲げ、「被控訴人が昭和五五年三月以降本件免職処分を受けるまでの間、争議行為に関与して、昭和四八年一月一日減給一〇分の一、三カ月、昭和四九年八月一日減給一〇分の一、三カ月、昭和五〇年九月一日戒告、昭和五六年一二月一九日厳重注意の処分を受けたことは当事者間に争いがない。」(二三丁)と述べている。
しかし、これらの処分歴は、地裁判決も「しかし、これらはいずれも争議行為に関与したことを理由とするものであることは当事者間に争いがない。」(三六丁)と認定するように、争議行為が処分理由であったことは明らかである。いうまでもなく争議行為をはじめとする組合活動は、組合の上部機関決定に基づく指令によって個人の意思とは直接関係なく遂行されるものであり、指令への服従は、組合の統制権によって担保されているものである。それゆえ、組合員個人の意思によるものではない組合活動が理由とされる処分歴を、本件の如く組合員個人の懲戒処分の判断において情状として考慮することは、本来考慮さるべきでないことを考慮したものとして上告人の情状に関する判断を誤ったものと言わざるをえない。
第六 社会的環境、他の職員及び社会に与える影響
高裁判決は、本件処分当時の被上告人全般の状況として、職場規律の乱れや被上告人の是正措置などを一方的に認定し(一五ないし一八丁)、そのことを理由に、「加えて、本件非違行為が行われた当時、控訴人が莫大に累積赤字を抱え、その再建策が検討されていたが、控訴人自体の経営のあり方についても世間から批判を浴び、職場規律の確立が叫ばれており、控訴人自身においても厳しい世論の要請の下に従来の悪い習慣を是正し、正常な職場を確立すべく努力していた折でもあって、このような時期に行われた被控訴人の非違行為は悪質であると評せざるを得ない。」(二四丁)として、上告人の悪情状として認定する。
しかし、被上告人が主張する「職場規律の乱れ」とは、決して突然に天から降ってきたり、地から湧いてきたりしたものではなく、長年にわたる国鉄の労使関係の中で形成されてきた結果であることはいうまでもない。被上告人がかかる主張をなすとき、当然に国鉄当局の管理体制も問題とされざるをえない筈である。さらに言えば、国鉄の「膨大な赤字」という問題も、その主たる原因は長年にわたり政府が、国鉄に多額の借金をさせて新線を濫設させ、その借財の金利負担が通常の経営を圧迫するという中で生じたものである。それにもかかわらず、自民党の運輸族がそのような状況を利用し、調査と称して国鉄荒廃の原因を国鉄労働組合などの組合活動になすり付け、さらには、国鉄再建の名のもとに国鉄の分割民営化を断行したという一連の動きは、極めて政治的なものであり、その一連の動きを理由づける自民党運輸族の言動、国鉄当局の見解及びマスコミの報道は、それ自体おおいに論議の余地のある政治的な主張なのである。裁判所がかかる一方的な主張を鵜呑みにして、それを前提とした判断をなすことは、裁判の中立性を担保するためにも避けられねばならないことはいうまでもない。
むしろ、本件事件は、被上告人がかかる「職場規律の乱れ」の是正処置として、職員の休暇申込み方法をはじめとする諸施策を、組合との十分な協議を経ることなく、一方的に実施するという状況の中で生じたものである。末端管理職に非妥協的に「是正」施策を進めさせる被上告人とそれに抵抗して組合との十分な協議を求めた国鉄労働組合員とは、同じ時期全国各地で本件と同様の懲戒免職処分事件を発生させているのであり、その意味で上告人は、高裁判決が認定するような状況の中での犠牲者であったとも評しうるのである。
それゆえ、本件事件当時の国鉄をめぐる全体状況は、被上告人の行為の有利な情状たりえても、決して高裁判決がいうように悪情状に数えられるべきものではない。
第七 合理性を欠く裁量の行使
一 上告人の行動と職員管理規定違反
以上の上告人の行為をとらえて高裁判決が、「前示認定の被控訴人の非違行為は、同規則六六条一号、六号(職場離脱、不就労)、一五号(規律攪乱)及び一七号(著しい不行跡)に該当するものと認めることができる。」(一五丁)と認定するところは、地裁判決も同様である(三四丁)。
二 上告人の行為の評価
しかしながら、かかる上告人の行為の評価について、地裁判決が、
「また、原告は、前後三回にわたって故なく職場を離脱しているが、前記認定のとおり、原告の業務は当日殆どなかった。
原告の暴行の態様は前記認定のとおりであり、処分の理由のうち、七番窓口において小尾助役に対し意図的につばをはきかけたとする点は認定することができないのであるから、その重要な点について事実の基礎を欠くものというべきである。また、出札室出口における暴行の点についても、処分理由のいうように『蹴り上げた』とまでは認められず、これに関する証人小尾公造の供述に誇張が含まれると認められることは前記のとおりである。」(三五丁)と評価し、懲戒処分を無効と判断しているのに対して、高裁判決は、一転「そして、非違行為の態様も、如何に自己の職務が閑散であったとしても、勤務時間中上司の許可なく濫りに職場を離れ、他の職員の職場に入り、小尾助役が執務中にも拘らず長時間に亘っ(ママ)執拗に同人に対し耳元で大声で叫び、つばをかけ、「嘘つき助役」とののしり、果ては足で蹴るという暴行までも加えた行為は、著しく職場の規律を乱すものであって、その違法性は極めて高いものといわざるを得ない。しかも、右行為は、偶発的に発生したものではなく、普段から直属の上司に対し前示に掲記したような非違行為を繰り返していた被控訴人の勤務態度、性格、意識等のひとつの現れであって、その根は深いものといわざるを得ない。」(二三、二四丁)と、全く異なった評価を下すのである。
このような評価の相違は、これまで述べた事実認定及び評価の態度に加えて、次に述べるような懲戒免職処分の選択の合理性に関する異なった判断基準を用いていることに起因するものである。
三 懲戒免職処分の選択の合理性に関する判断
懲戒免職処分の合理性の判断に際しては、冒頭の国鉄法三一条一項の解釈についての最高裁の判例において述べたように、<1>懲戒処分の判断に必要な諸事情を考慮すべきこと、<2>処分の選択における裁量権の行使においては、社会的合理性が必要であること、並びに<3>免職処分を選択する際には特に慎重な配慮をなすべきこととされている。
ところが、高裁判決においては、
「以上の事情に鑑みると、控訴人が被控訴人をその所定の懲戒処分のうち最も重い免職処分(<証拠略>控訴人の就業規則には、懲戒処分として、免職、停職、減給、戒告が定められていることが認められる。)にしたことには正当な理由があり、解雇権の濫用であるということはできない。」(二四、二五丁)と判断するものである。そして、右高裁判決は、最高裁判決に沿った懲戒免職処分の効力の判断に関する基準を明らかにすることなく、これまで詳述してきたように最高裁判決が要求する必要な諸要素の判断を尽くさず、裁量権行使の合理性判断のための必要な比較衡量を怠り、免職処分選択に際しての慎重な配慮の有無に関する審理判断を怠っている。非常に粗雑な判断であると言わざるをえない。
このことは、地裁判決が、次のように述べて懲戒免職処分の選択の合理性に関するきわめて妥当な判断基準を示していることに比較すれば明白である。
「国鉄法三一条一項及び同項一号の業務上の規定である被告の就業規則によれば、懲戒処分は、免職、停職、減給、戒告の四種類とされている。このうち、具体的にどの処分を選択するかの基準を定めた規定はなく、懲戒権者である被告の総裁の最良(ママ)に一応委ねられていると解するのが相当である。しかしながら、免職処分については、他の懲戒処分と異なり、職員としての地位を失わせるという重大な結果をもたらすものであるから、その裁量の範囲も無制限ではなく、処分の対象となった行為の動機、態様、結果、当該職員の行為前後の態度及び処分歴等の諸事情に照らし、免職処分が当該行為との対比において甚だしく均衡を失し、社会通念上合理性を欠くと考えられる場合には、右免職処分は裁量の範囲を超え違法となるものというべきである。」(三四、三五丁)
「以上検討した諸般の事情を考慮すると、原告の被告職員としての身分を失なわしめる本件懲戒処分は、その原因となった行為等との対比において甚だしく均衡を失し、社会通念上合理性を欠くものといわざるを得ない。従って、本件処分は、懲戒権の裁量の範囲を超えた違法なものとしてその効力を有しないものというべきである。」(三六丁)
以上の次第で、高裁判決には、法令適用の違背、審理不尽及び理由不備の違法があり、それらは明らかに本件懲戒処分の効力ひいては上告人が確認を求める雇用契約上の地位という点において判決に影響を及ぼすものであるから、民事訴訟法三九四条、四〇七条により破棄されるべきものである。
以上